カルテは自動生成、遠隔診療やトレーニングも容易に?パンデミック対策も後押し、医療用スマートグラスの最前線

カルテは自動生成、遠隔診療やトレーニングも容易に?パンデミック対策も後押し、医療用スマートグラスの最前線

イメージ画像:VRデバイスを使用する研究者

2010年代初頭、「スマートフォンの“次”なるデバイス」の有力候補として、大きな注目を集めたプロダクトがあります──レンズにデジタル情報を表示できるメガネ、「スマートグラス」です。

一時の熱狂は数年で過ぎ去り、最近ではスマートグラスという言葉を聞く機会も減りました。しかし、実は医療分野においては、スマートグラスが脚光を再び浴びています。

ハンズフリーの記録、診療支援(遠隔診療)、トレーニングの質の向上など、医療現場にスマートグラスを導入することで見込めるメリットは大きいと考えられます。本記事では、遠隔医療からうつ病の予防までさまざまな角度から研究と実装が進んでいる、ヘルスケア領域のスマートグラス活用の最前線をリポートします。

医療におけるスマートグラス活用の歴史

イメージ画像:スマートグラスの活用

まずは、スマートグラスの歴史を簡単に振り返ります。

スマートグラス開発の先鞭を切ったのは、Googleです。2012年に「Google Glass(グーグル・グラス)」を発表し、「スマートフォンの“次”のデバイス」として大きな期待を集めました。

しかし、その試みは失敗に終わります。カメラで周囲を撮影することがプライバシーを侵害する懸念が強まり、キラーアプリがなかなか現れなかったことも相まって、一般消費者には普及しませんでした。結果として、2015年には開発中止となります。

ただ、Googleはそこで引き下がりませんでした。コンシューマー向けの開発を断念したのち、メインターゲットをエンタープライズへと方針転換。2010年代後半には、Google Glassは製造業、物流業など、産業分野での活用に活路を見出すようになりました1)

「医療」も、Googleがスマートグラスの活用先として注目した領域の一つでした。2016年時点で、すでに救急医療の分野でGoogle Glassの活用法の模索がはじまっており2)、後述するAugmedixをはじめ、Google Glassを活用したソリューションを開発するヘルスケアスタートアップも登場するようになります。

そして、2020年に全世界を覆った新型コロナウイルス感染症も、医療におけるスマートグラス活用を大きく進展させました。

情報通信技術専門家の国際的団体であるISACAのシニアディレクターのダスティン・ブリュワーは「ウェアラブル技術は、COVID-19パンデミックの縁の下の力持ちです」と語っています3)。スマートグラスを活用することで、医師は遠隔地からの診断を行ったり、感染しているリスクの高い患者を直接会わずに診察したりすることができるからです。

さらに、PwCのリポートでは、2021年の医療業界が向き合う重要イシューとして、「バーチャル医療の提供」が挙げられています4)

かくして、スマートグラス活用は、これからの医療のあり方を模索するうえで、重要なトピックの一つとなったのです。

1)JBpress(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55288)

2)EETimes(https://eetimes.jp/ee/articles/1607/13/news081.html)

3)HealthTech(https://healthtechmagazine.net/article/2021/02/how-smart-glasses-could-change-healthcare-delivery-perfcon)

4)pwc(https://www.pwc.com/us/en/industries/health-industries/top-health-industry-issues.html)

ハンズフリーの記録、診療支援、トレーニングの質向上……スマートグラスが医療にもたらすメリット

イメージ画像:医療用ツール

医療にスマートグラスを活用することのメリットは、感染症対策だけにとどまりません。

まず、患者のデータをキャプチャによって保存できるようになることで、ハンズフリーのドキュメンテーションの実現が見込まれます。自動でデータを記録してくれるため、物理的なファイルをEMR(電子医療記録)に準拠したフォーマットに変換する時間も削減できます。

スマートグラスは、診断の質そのものの向上にもつながります5)。何千マイルも離れた場所にいても、スマートグラスから記録したキャプチャデータを通じて、他の医師に診断を手伝ってもらうことが可能になるうえ、AIによるアドバイスを受け取ったり、必要に応じて電子カルテを表示したりできるようにもなるでしょう。遠隔医療を普及させるにあたっても、大きな役割を果たします。

そして、医療トレーニングにおいても、スマートグラスは大きな効果が期待されています6)。スマートグラスを使用することで、教育担当の医師がいなくても、精度の高いトレーニングを実施可能。さらに、医療行為をスマートグラスを通じてライブストリーミングし、記録できるようになります。のちのトレーニングや評価に、大いに役立つことでしょう。

5)HealthTech(https://healthtechmagazine.net/article/2021/02/how-smart-glasses-could-change-healthcare-delivery-perfcon)

6)HealthTech(https://healthtechmagazine.net/article/2021/02/how-smart-glasses-could-change-healthcare-delivery-perfcon)

医療用スマートグラスの社会実装に取り組む3社

イメージ画像:感染予防をしながらも実施する会議

医療においてさまざまな効果が見込まれるスマートグラスの活用に、すでに取り組んでいる海外企業もあります。

顔の筋肉の動きを分析する「Emteq」

2015年にイギリスで設立されたスタートアップ・Emteq7)は、顔の動きを読み取り、筋肉の活動についてフィードバックするウェアラブル機器を開発。顔の筋肉の動きを分析することで、「デジタル表現型」と呼ばれる個人のデータセットを構築し、パーキンソン病の治療やうつ病の予防などにつなげようとしています8)

VRヘッドセットに挿入するアダプターによってユーザーの表情をトラッキングし、VRのアバターにリアルタイムで反映できます。そしてこのアダプターは、メガネに搭載できるほど小型化されているのです。

形成外科医チャールズ・ンドゥカと大学院でAIを学んだデータセキュリティー分野の起業家グレアム・コックスが共同創業し、英国の国立衛生研究所(NIHR)から85万ポンド(約1億1,600万円)の資金提供8)、ノッティンガム・トレント大学で医療デザイン研究グループを率いるフィル・ブリードンの協力も得ています。ロンドン近郊のイースト・グリンステッドにあるクイーン・ヴィクトリア病院に、顔面麻痺の治療を目的とした治療センターも創設するなど、次々と歩を進めています。

7)emteqlabs(https://www.emteqlabs.com/)

8)WIRED(https://wired.jp/2019/07/25/emteq-vr-digital-phenotyping-charles-nduka/)

老舗スマートグラスメーカーとして医療に乗り出す「Vuzix」

1997年に設立された老舗スマートグラス専業メーカーであるVuzix9)も、医療用スマートグラスの開発に乗り出しています。同社のスマートグラス「M400」は、リアルタイムでの作業指示やデータの受信から、音声コマンドでのアポイントの確認や写真撮影まで、医療現場でのさまざまなシーンで活用できます10)

M400には、音声認識機能、静止画と動画の両方に対応した高解像度カメラ、手ぶれ補正機能などが搭載。開胸手術の際、外科医がM400を装着していれば、遠隔地であっても、縫合部分を見ることができるといいます11)

また、救急医療にも活用されています。救急隊員がスマートグラスを使って患者の情報を取得し、それを入院先の病院に前もって送付できます。M400を使えば、世界中の遠隔地での診察や遠隔医療が可能になるのです。国境なき医師団も、M400のユーザーの一人です12)

9)Vuzix(https://www.vuzix.com/)

10)Vuzix(https://www.vuzix.com/products/m400-smart-glasses)

11)Healthcare IT Today(https://www.healthcareittoday.com/2020/07/20/smart-glasses-make-a-return-to-health-care-with-the-vuzix-m400/)

12)Healthcare IT Today(https://www.healthcareittoday.com/2020/07/20/smart-glasses-make-a-return-to-health-care-with-the-vuzix-m400/)

医師と患者の会話から文書を自動生成する「Augmedix」

2012年に設立されたAugmedix13)は、Google Glassを活用したメディカルサービスを提供しているスタートアップです。自然言語処理(NLP)とスマートグラスを使用して、臨床医と患者の会話から医療文書を作成するサービスを提供しています。

医師は一般に、画面をクリックしたり、図面を描いたりすることに長い時間を費やせねばならず、目の前の患者に集中することができません。しかし、Augmedixを使えば、文書作成の手間が省け、患者とのコミュニケーションにより一層注力できます。診察中はコミュニケーションに集中するだけでよく、診察終了後に書類にサインをしたり、微調整をしたりするだけで済みます。

CEOであるManny Krakarisは、「当社のサービスは、自然な会話によって実現されている点で差別化されています」と語っています14)

13)Augmedix(https://augmedix.com/)

14)mobihealthnews(https://www.mobihealthnews.com/news/north-america/augmedixs-device-based-remote-scribing-system-announces-19m-series-b)

デバイスや情報インフラの課題を乗り越え、急増するデータ資産の有効活用を

イメージ画像:データ資産の医療分野への活用

ただ、医療におけるスマートグラス活用を推し進めるためには、乗り越えるべきハードルもまだまだ多いのが現状です。

冒頭でも紹介したISACAのブリュワーは、今後取り組むべき課題として「装着の快適性の向上」を挙げています15)。半日に及ぶ手術でも快適に装着できるよう、形態やフィット感をブラッシュアップしていく必要があり、操作性の向上も課題として指摘します16)

「指にはめたリングでデバイスの機能を操作するものもあれば、音声認識AIを使うものもありますが、どちらもまだ十分ではありません」。この点に関して、テックライターのダグ・ボンデローは「物理的なチップセットのサイズとAIによるインタラクションは、急速に改善されている」とポジティブな展望を語っています17)

さらに、医療においてスマートグラスを大きく広げていくためには、既存のITインフラと安全かつ効率的に統合することも不可欠です。ブリュワーは「サイバーセキュリティは非常に重要で、安全かつ非公開のデータを保存・送信する方法が必要だ」と述べています18)。加えて、スマートグラスが取得する音声、映像、その他のデジタルデータをクラウドに保存し、他の医療システムと統合するためのインフラ整備も必要だとブリュワーは言います。

とはいえ、ブリュワーは悲観的になっているわけではありません。規制緩和やパンデミックの影響で、「これまでにないほどヘルスケアデータを収集できる時代になっており、スマートグラスを戦略的に導入・統合することで、これらのデータ資産の価値を高め、トレーニングや診療、遠隔医療のフレームワークに新たなアプローチをもたらせる」と語ります。

スマートグラスの活用は、2020年代以降の医療の発展を左右する、大きなファクターであることは間違いないでしょう。パンデミックによりあらゆる領域でオンライン化が急速に進んだこともあいまって、今後はますます活用が進むはずです。

16)HealthTech(https://healthtechmagazine.net/article/2021/02/how-smart-glasses-could-change-healthcare-delivery-perfcon)

17)HealthTech(https://healthtechmagazine.net/article/2021/02/how-smart-glasses-could-change-healthcare-delivery-perfcon)

18)HealthTech(https://healthtechmagazine.net/author/doug-bonderud)