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ボディシェアリングが人間の「健康観」を変える──琉球大学工学部教授/H2L代表・玉城絵美インタビュー
ボディシェアリングが人間の「健康観」を変える──琉球大学工学部教授/H2L代表・玉城絵美インタビュー

近年、「仮想空間の体験をいかにリアルに近づけるか」について様々な角度から研究が進んでいます。その際に重要となるのは、人間の感覚をいかにデータ化し、再現可能にするかという観点です。
本サイトでは以前に、「力触覚」の伝送技術を研究する慶應義塾大学ハプティクス研究センター・大西公平先生や、XR空間がもたらす「味覚」「嗅覚」への影響も研究する東京大学大学院情報理工学系研究科准教授・鳴海拓志先生にお話を伺ってきました。
人間の感覚の表現として、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚を総称して「五感」という言葉がよく使われます。しかし、近年では生理学や心理学、認知科学、神経科学などさまざまな領域からの研究によって、22以上もの感覚があると言われています。1)
そのなかでも「固有感覚」という感覚に着目し、「BodySharing(ボディシェアリング)」と呼ばれる技術を研究しているのが琉球大学工学部教授・H2L代表取締役の玉城絵美先生です。
これは、人とコンピューターで、身体の情報、特に固有感覚を相互伝達することによって、他者やメタバース上のアバター、ロボットなどと「体験を共有する」技術です。
ボディシェアリング技術の進展は私たちの生活をどのように変えるのでしょうか。また、こうした技術が医療分野に導入された時、医療はどのように変わっていくのでしょうか。その現在地と今後の可能性について玉城先生にお聞きしました。
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◆「外に出たくない」という想いから始まった研究
◆ボディシェアリングで「体験量」は10年で3倍になる
◆固有感覚の共有は何をもたらすのか?
◆ボディシェアリングの実生活への応用
◆他者との相互理解を促進するボディシェアリング
をご覧いただけます。

玉城絵美(琉球大学工学部教授/ 東京大学大学院工学系研究科 教授/ H2L代表)
1984年生まれ。琉球大学工学部卒業、東京大学学際情報学府で博士号取得。人間とコンピューターの間の情報交換を促進することによって、豊かな身体経験を共有するBodySharingとHCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)の研究と普及を目指す研究者兼起業家。2011年に手の動作を制御する装置PossessedHand(ポゼストハンド)を発表し、米誌タイムの「世界の発明50」に選出される。20年の人間拡張技術の国際会議でポゼストハンドの論文が近年で最も推奨される研究論文として特別賞を受賞。21年4月、琉球大学工学部で女性初の教授に就任。23年4月から東京大学工学系研究科教授も務める。
「外に出たくない」という想いから始まった研究
──玉城先生が研究している、ボディシェアリングという技術の概要について教えてください。
ボディシェアリングとは、身体の情報、とりわけ「固有感覚」と呼ばれる情報をデジタル化して伝達することで「体験を共有する」技術です。他人の身体、遠隔地にあるロボット、メタバース空間上のアバターなどとも体験を共有できることで、屋内の体験に乏しい環境にいても数多くの体験ができるようになります。
私が代表を務めるH2L社では、この技術を社会に普及させ、多種多様な「体験」を人々に提供する新しい産業と市場をつくろうとしています。
──玉城先生がボディシェアリングの研究をはじめたきっかけをお聞かせいただけますか?
もともと私は先天性の持病を抱えており、高校生の頃から入退院を繰り返す日々を送るようになったことが発端です。
入院生活を送っていたことで、学校の友人たちが過ごしていた「楽しかった出来事」は、写真などを通じて受動的にしか体験できませんでした。しかし、どちらかといえば私は、入院生活を「快適すぎる」と感じていたんです。
もともと内向的な「引きこもり」タイプだった私は、入退院を繰り返す前も、いつも「外出したくない」と考えていました。入院生活が始まって少し経つと、私は病室の中でもだいたいのことができるし、不自由しないことに気づいてしまった。ただやはり旅行などの体験はできないので、そこからさらに「部屋の中にいても世界中の体験ができる方法はないだろうか」と考えはじめたんです。
そうした経験が、外出困難な方々や入院されている方々の体験量を増やすという、現在の研究やサービスの発想の原点にあります。
ボディシェアリングで「体験量」は10年で3倍になる
──フィジカルの身体は動かなくても多種多様な体験ができるようになると、どのような未来が訪れると考えていますか?
「マルチスレッド・ライフスタイル(並列的な生き方)」と呼んでいる未来像が実現できると思っています。
通常、人間が1日にできる活動量には限りがありますが、マルチスレッドライフスタイルでは、複数のアバターやロボットの体験から希望する部分のみを選び、同時並列的に体験することが可能になります。これによって、人々はこれまでの数倍の体験が可能になると考えています。
というのも、これまで私たちは時間・空間・身体という制約のなかで、一人ひとりがバラバラの体験を重ねてきました。ただ、それは「単一の体験」しか経験できない人生、言い換えれば「シングルスレッドライフ」を生きてきたのだと思っています。
しかし、自由に体験を選べるようになるボディシェアリングが一般化すれば、時間・空間・身体の制約から人間は解放されます。すると、人々は貴重な体験だけを抽出して、並列に体験を配置するようになる。それは、複数の人生を並列に体験することを意味します。
──人間が体験する方法や量が変わっていくのだと理解しました。具体的な社会やライフスタイルの変化についても伺えますか。
この潮流は現在すでに萌芽が見られます。例えば、オンライン動画プラットフォームのYouTubeやTikTokでは、2020年頃から「短尺動画」と呼ばれる約15〜60秒以内の短い動画が大量に投稿されはじめました。短尺動画の利点は、長尺の動画から重要な箇所だけを短く抽出し、ユーザーの興味関心にあわせて提供できることです。このような短時間かつ異なる体験の連続的な共有、擬似的な並行体験を求めることは、近年人々の間で一般化していると感じます。
同様の現象がボディシェアリングでも起こります。例えば、陶芸で「粘土をこねる」という準備工程は飛ばして、ろくろを回す成形工程だけを体験する。スポーツで体を動かして、エキサイティングな瞬間だけを体験する。観光地に行くまでの移動は省略して、目的地の景観だけ楽しむ。あるいは、目的地への移動が好きな人は行き帰りの体験を楽しむ……。
このように、好きな体験だけを抽出・合成・配置して、本人が望む体験を1日で一気に得られるところまでを実現することが、この研究が目指している理想の未来像です。それに向けた直近の目標として、私たちは2020年と比較して、2030年にはユーザーの「体験量」、すなわち希望する体験の種類や触れ合っている時間が3倍になるようにしたいと考えていますそれに向けた直近の目標として、2030年にはユーザーの「体験量」が、2020年の「体験量」の3倍になるようにしたいと考えています。
固有感覚の共有は何をもたらすのか?
──そもそも、ボディシェアリングで共有する「固有感覚」とは何でしょうか?
人間の感覚はいわゆる五感と呼ばれている5つではなく、22個以上も存在すると言われています。その中でも、体験の共有に特に大きく影響するのが固有感覚です。
例えばコップを手でに持っている時に、コップの重みを認識する感覚やコップが割れない程度に手を握りこむ感覚が存在しますよね。こうした指先や身体の位置情報、身体を動かしているという運動感覚、力の入れ具合を含む抵抗感、重量感など、身体の深部で認識し感じている感覚のことを固有感覚と呼びます。普段私たちは、寝ている時も起きている時も、私たちの身体の位置や姿勢、運動などで何かしらこの感覚を使っていると言えます何かしらの動作においてこの感覚を使っていると言えます。
この固有感覚をユーザーに与えると、仮想空間への認識が大きく変わります。例えば、XRゴーグルを装着している人は「視覚」と「聴覚」で仮想世界を認識していますよね。さらにハプティクスの技術で「触覚」を与えると、仮想空間内にあるコップの表面のツルツルした感触を感じられるようになります。しかし固有感覚がなければ、ツルツルした感触はあっても「握り込んでいる」という感覚がないので、仮想空間内にあるコップを握っても「持っている」という感覚が得られなかったり、握った手がスカッと宙を抜けてしまったりします。
だからこそ、「物体に作用する」という感覚をもたらす固有感覚が、よりリアルなXRを再現するための突破口になるんです。
──H2L社として、そうした固有感覚についてどのような研究をされているのでしょうか。
私たちのチームは固有感覚をデジタル化して入力し、人間やロボット、仮想空間内のアバターに出力する研究や開発を進めています。具体的には、光学式筋変位センサーという、光で筋肉の変位を捉えるセンサーを世界で初めて開発し、固有感覚を入力する技術を安価かつ安定的に提供できるようにした実績があります。
First VR-世界の技術を搭載したVR/ARデバイス-(Youtube)
こうしたセンサーの存在は、「蓄音機」に近い体験共有の手法を可能にします。誰かの体験を身体の内部的な筋変位データとして取得(インプット)・保存し、後で筋肉に電気刺激を与える(アウトプット)ことで体験を再生する。これによって、事後的に誰かの体験をリアルに得ることができます。
体験共有の手法はもうひとつあります。それはロボットやアバターを含めた誰かの身体を使って、自分の身体とは離れた場所での体験をリアルタイムでシンクする手法です。この時に重要なのが、「身体主体感」と「身体所有感」の概念です。前者は身体を自由自在に動かせる感覚、後者は身体を自分のものだと感じる感覚を意味しており、これらは体験への没入感に影響します。
人間は「身体主体感」と「身体所有感」が宿っている身体を、自分の身体だと感じます。すなわち、ロボットやアバター、動物でさえも、もし「身体主体感」と「身体所有感」が移行すれば自分の身体だと感じるようになります。この原理を用いて、他者のリアルタイムな体験を自分の身に起こることとして同時に経験する方法の研究も、ボディシェアリングにおいて重要な要素だといえます。
ボディシェアリングの実生活への応用
──ここまでボディシェアリングの理論的な側面についてお聞きしてきました。具体的には、どのような実証研究を進められているのでしょうか?
例えば、遠隔操作で動くカヤックロボットを水辺に設置して、遠く離れたユーザーが動かす「遠隔観光」の実験を行いました。

カヤック観光体験をBodySharing技術で提供(Youtube)
遠隔地にあるカヤックの映像や音声を楽しむだけであれば、これまでもVRゴーグルを装着することで実現可能でした。今回の実証実験では、ボディシェアリングを使うことで、パドルを動かす際に感じる水の重さや抵抗まで伝えることができます。これは、自分が能動的にパドルを動かすことで、カヤックロボットに身体所有感や身体主体感が移行し、現実感や没入感、臨場感が高まった状態だと言えます。
こうした「遠隔観光」は、身体的・精神的に外出困難な方だけでなく、一般のユーザーの方にとっても有用です。その他にも他人の楽しいことや大変なことを体験したり、スポーツのトレーニングをしたり、農業を体験したりと、幅広い体験を共有できるようになる予定です。
──すでにこの技術を用いたサービス等の開発もされているのでしょうか?
はい。2023年には乃村工藝社と共同で、働き手の固有感覚の2次情報をアバターと共有するメタバースオフィス「BodySharing for Business」をリリースしています。
BodySharing for Business(Youtube)
リモートワークでは伝わりづらい相手の状態(元気度とリラックス度)がアバターに反映されることで、まるで対面のようなコミュニケーションが可能になります。弊社の社員もこのサービスを使って勤務しているのですが、今どの部署にどれくらい体力が残っているのか、現在どれだけ緊張状態にあるのか、誰がリラックスしていて別の仕事を相談できる状況にあるのか、といったことがわかります。

他者との相互理解を促進するボディシェアリング
──ボディシェアリングの技術が発展することで、医療はどのように変わるとお考えでしょうか。
「これに使える」という医療用途はまだまだ明言しづらいのですが、人間や社会における「健康観」は変わっていくのではないかと思います。
ボディシェアリングは身体感覚を伝達する技術なので、例えば右腕が動かない人がいても、「右腕のロボットをつくって感覚を共有すれば問題ない」と考えるようになるかもしれません。それだけでなく、もっとたくさんの体のパーツを増やすことで、体の形自体が変わっていく可能性もある。それが「健康」な状態として当たり前になっていけば、「五体満足こそが健康である」といった概念は変わると思います。
体が動かなかったり、目が見えなかったりする障害を持った方でも、ロボットやメタバース空間上のアバターとボディシェアリングすれば闊達に人生を体験できる可能性があります。こうなってくると、身体が問題なく動く人であっても、「体験のインタラクションが少ない」状態の方が不健康であるといった概念になるかもしれない。私はそう考えています。
──先ほどロボットの右腕に身体感覚を拡張するお話をされていましたが、人間以外のロボットや生物にも感覚を拡張できるのでしょうか?
弊社の装置を使用してつくられた、「メタバース空間上で牛になって搾乳される」体験コンテンツがあります。胸ではなくお腹の下のほうを機械の刺激でギュッと絞られる感覚なのですが、ほとんど全員が搾乳中に笑うか叫ぶかして、終わった後にしばらく言葉が話せなくなります。まだメカニズムは研究中の実験段階ですが、牛への没入感が高まっていることで、「人間の言葉を話していいのかわからない」状態になるのだと推測しています。
こうした事例から考えていくと、病気の人と体験を共有し、そのつらさを前もって体験する予防医学的な使い方もできそうです。例えば、糖尿病でつらい思いをする体験をしてもらうことで、予防意識が高まる。あるいは、男性に生理の体験を共有するといった使い方も今後は出てくる可能性があります。
いずれにせよ、予防だけでなく、いたわり、倫理観の向上、相互理解を深めるといった要素に、ボディシェアリングは貢献していくのだろうと期待しています。