第3回 「ヘミングウェイと糖尿病&うつ」対談後編


諏訪太朗先生

京都大学医学部附属病院
精神科神経科 病院講師
諏訪太朗先生

大川内幸代先生

刈谷豊田東病院
診療科医長
大川内幸代先生

ヘミングウェイは61歳のときにECTを受ける

大川内先生 大川内先生 ここからは、『偉人を診る』のメインテーマでもある「ヘミングウェイの主治医だったら」というテーマで、諏訪先生とご一緒に検討させていただきたいと思います。

ヘミングウェイは頑健な肉体と行動力、そして並外れた記憶力を創作の糧としていたと言われています。「パパ・ヘミングウェイ」の愛称で親しまれたように活動的で、女性関係も賑やかで、4度の結婚と3度の離婚を経験しています。社交的でお酒好き、がっちりとした肥満型だったことから美食家でもあったと考えられます。病歴としては、48歳のときに高血圧による耳鳴りに悩まされ、50代では肝炎や大動脈炎症が認められ、61歳のときに被害妄想や神経衰弱が顕著となり入院し、そこで糖尿病も見つかりました。また、生涯にわたり何度も脳震盪を起こすほどの事故にも見舞われています*1

諏訪先生 どこから診るべきか、悩みますね。

大川内先生 本当に難しいです。例えば、糖尿病とうつ病には双方向的な関連があり、糖尿病を持つ人はうつ病になりやすく、うつ病を持つ人は糖尿病になりやすいと言われています*2。うつ病になると血糖マネジメントが難しくなり、また、服薬や厳格な食事療法がストレスになって、うつ病を悪化させる可能性もあります。ですから私は、うつ病が重篤な患者さんには、食事療法は少し控えてお薬で調節するといったように、どちらかと言えばうつ病の治療を優先にしています。

諏訪先生 まず薬物療法や休養、そして誰にでもお勧めできるわけではありませんが、難治の場合はECTでうつの症状を緩和し、判断力や自制心の回復を待ってから食事療法などの糖尿病治療を行う方法も考えられます。

大川内先生 ヘミングウェイも、61歳で入院したメイヨー・クリニックでECTを受けていますね。

諏訪先生 そうなんです。初回の急性期ECTコースは効果が認められたようですが、2回目は思うように効果があらわれなかったようです。あくまでも私の想像ですが、ECTを受ける前に飲んでいたアルコールの離脱症状を和らげる薬がECTの効果を弱めていた可能性があります。当時はまだECT前の薬物調整のノウハウが確立されていませんでしたから。
ただ、メイヨー・クリニックでは患者さんのカルテを一切公開していないので詳細は分かりませんが、ヘミングウェイを担当したローマ(Howard Rome)*3は、後に世界精神医学会の会長も務めており最高峰の医師の一人ですから、当時としては最善の治療が行われたはずです。とはいえMRIもCTもない時代でしたから、脳震盪後遺症や脳血管障害、アルコールによる脳の萎縮といったことは考慮されていなかったでしょう。

大川内幸代先生

関係性を築いて本音を引き出してからが治療の本番

諏訪太朗先生

大川内先生 では、今ならどんな治療が考えられますか?

諏訪先生 ヘミングウェイは精神疾患でありながら併発している身体疾患が多い患者さんです。現代なら必ずMRIやCTで脳画像を確認するでしょう。そのうえで脳の器質性の障害では無く双極性障害であると診断できれば、病状としては精神病性のうつ症状があるので、薬物療法やECTが治療選択肢として挙げられます。ECTの副作用と考えられる言語障害や認知機能障害が生じたため、彼は作家としての今後を悲観したそうですが、現代なら非言語野だけを電気刺激する右片側電極配置を行うことで、副作用の程度を軽減できると考えます。それと、再発予防のためリチウムや抗精神病薬などを使った維持療法を行うことも欠かせません。

大川内先生 とても勉強になります。糖尿病専門医としては、まずダイエットをお願いします。薬物療法としては、ヘミングウェイはおそらくインスリン抵抗性が高いタイプだと推測されますので、選択肢としてはメトホルミンが挙げられますが、過度のアルコール摂取の患者には使えません*4。ヘミングウェイは相当なお酒好きですが禁酒にも取り組んでいただきつつ、体重減少も期待できるSGLT2阻害剤やGLP-1受容体作動薬なども検討すると思います。

諏訪先生 禁酒には、アルコール依存症治療アプリも期待できますね。あとは、治療に関わる人を増やして日頃から治療のサポートやアドバイスができるよう、訪問看護などの在宅サポートを導入したいです。ヘミングウェイ氏が素直に受け入れて下さるように説得をしないといけませんが(笑)。

※株式会社CureAppのアルコール依存症向け治療用アプリが2023年1月より治験(国内第Ⅲ相臨床試験)を開始。本アプリは2023年7月現在、未承認。

大川内先生 関係性づくりについてもお聞きしたいのですが、ヘミングウェイは豪快でありながら、人の眼を意識する猜疑心の強さや繊細さも併せ持っていたそうです。主治医として接するとしたら、どんな点に気をつけるべきだとお考えですか?

諏訪先生 想像ですが、「パパ・ヘミングウェイ」の愛称で呼ばれた彼は、「健康を気にかけてお酒を控えるなど恰好悪い。男は太く短く」といった美学を持っていたのではないでしょうか。すべての患者さんに言えることですが、特にヘミングウェイのような人には、医師が「これが正しい生活だ、この治療が正しい」と一方的に言うのではなく、「あなたはどうなりたいですか?」ということを最初に聞いて、治療の目標をすり合わせる必要があります。いわゆる、SDM(Shared Decision Making:共同意思決定)ですね。

大川内先生 医師の意見を押し付けたりしないで、治療をドロップアウトさせないことも大事ですね。とても話題が豊富な方だと思うので、時間が許す限り、医師や看護師、栄養士などが話を聞いて、相手を理解し、本人の希望やライフスタイルに合わせて治療内容を提案するとうまくいくかもしれません。

諏訪先生 タフガイを体現していても、本当は死ぬことがすごく怖かったかもしれないですしね。関係性を築いて、本音を話してもらえるようになってからが治療の本番です。

うつを乗り越え新境地の作品を生み出した可能性も

大川内先生 ヘミングウェイは、自己の体験に基づいて創作するタイプの作家と言われています。父親の自殺や戦争など、かなりハードな体験をしてきた方でシリアスな作品が多いです。でも、仮に現代の治療でうつの時期を抜けることができていたら、また別の雰囲気の作品を残したのではないかと考えました。あくまでも想像ですが。

諏訪先生 それは面白い考えですね。亡くなる直前のヘミングウェイは、認知機能の低下を悲観していました。しかし、ECTの副作用による認知機能低下は時間が経てば回復しますし、現代のECTは安全性の面も向上しています。もしうつの時期を乗り越えて自殺することがなかったら、その体験を持ち帰って作品にできたかもしれません。

大川内先生 深刻なうつ状態から戻ってきた体験を世界的文学者が表現したら、 すごい作品になった気がします。老いて死ぬことを恐れる人間的な弱さを赤裸々に告白するとか。

諏訪先生 『老人と海』の、さらに先を見せてくれたかもしれないですね。荒波を越えた先の達観した境地で作られた文学作品を読めるなんて、ひとりの読者として実に嬉しいことです。

自殺がなければECTへの評価も変わっていたかも

大川内先生 ヘミングウェイが元気で長生きしていたら、世の中は今と違っていたかもしれないと思われることはありますか?

諏訪先生 ECTに対する世間の評価が、もう少し違っていたかなと思います。彼は2回目のECTを受けて退院後に間もなく自殺したため、ECTの評判を大きく下げたという事実があります。当時、ECTとロボトミーは強い批判にさらされていました。確かに脳に不可逆な侵襲を加えるロボトミーは非人道的な治療で問題がありますが、ECTについては誤って使用されていたことや誤解されていた部分も多々ありました。そこに、ヘミングウェイの自殺や映画「カッコーの巣の上で」の影響も加わり悪評が広まってしまいました。現在ではECTは適応と有用性の確立した治療法として再興を果たしましたが、そのためには20年以上の期間を要しています。ヘミングウェイの自殺がなかったらもう少し早くから効果が見直されて、精神疾患に悩む多くの患者さんに貢献できたのではないかと思います。

※1975年のアメリカ映画。主演のジャック・ニコルソン演じるマクマーフィーがECTとロボトミーを受けゾンビのような姿となり、映画を観た多くの大衆にECTの恐怖を吹き込んだ。

大川内先生 ノーベル賞作家の自殺ということで、センセーショナルに伝えられてしまったのかもしれませんね。私自身、ECTを含め精神科領域については知らないことが多くありましたが、いろいろとお話を伺い本当に勉強になりましたし、すごく楽しかったです。どうもありがとうございました。

諏訪先生 糖尿病も精神疾患も、患者さんとの関係づくりなど共通することも多いと感じました。大変興味深かったです。こちらこそ、ありがとうございました。

大川内幸代先生、諏訪太朗先生

※本コンテンツの歴史に関する記載には、諸説ある中のひとつを取り上げた部分が含まれています。予めご了承ください。

*1新関芳生編集「ヘミングウェイ年譜 病気と怪我とテクスト」『ユリイカ』青土社、31(9)1999.08 、P214~223.
*2 糖尿病とこころ(厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイト)
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-05-006.html(参照日 2023-02-10)
*3 The Last Days of Hemingway at Mayo Clinic(Mpls.St.Paul Magazine)
https://mspmag.com/arts-and-culture/the-last-days-of-hemingway/(参照日 2023-02-10)
*4 日本糖尿病学会編・著「糖尿病診療ガイドライン2019」2019、南江堂

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