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第3回 「藤原道長と糖尿病」対談後編
京都大学医学部附属病院
糖尿病・内分泌・栄養内科教授
稲垣暢也先生
刈谷豊田東病院
診療科医長
大川内幸代先生
道長は多忙で気配りができる「社長タイプ」
大川内先生 続いては、『偉人を診る』のメインテーマでもある「道長の主治医だったら」というテーマに行きたいと思います。早速ですが稲垣先生は、道長はどのようなタイプの患者さんだとお考えですか?
稲垣先生 道長は、多忙で仕事ができ、人付き合いやそれに伴う会食も多く、かつ、気配りを欠かさない、いわゆる「社長タイプ」と言えるのではないでしょうか。
大川内先生 頭が良く冷静で、論理的な思考の持ち主というイメージもあります。平安時代後期に書かれた『大鏡』という歴史物語には、藤原道隆、道兼、道長の三兄弟が、花山天皇に命じられて夜中に肝試しに行く話があります。これによると、二人の兄は怖気づいて途中で逃げたけれど、道長は「目に見えぬものをどうして怖がるのだ」といった様子で平然と言われた場所へ行き、証拠として柱を削って持ち帰ったそうです。実際の出来事かどうかは分かりませんが、道長の性格をあらわしたエピソードだと思います。
稲垣先生 インテリジェンスのある人ですね。
大川内先生 そんな道長に糖尿病治療を行うとしたら、どういったアプローチをなさいますか?
稲垣先生 まずは、理論をきっちり説明することが大事だと思います。同時に「社長タイプ」の人は決断力もあり、現実問題としてライフスタイルを簡単に変えられないこともあるため、具体的な治療法については、十分な説明を行ったうえで「こういった選択肢がありますが、どれならできますか?」と道長自身に決めてもらうインフォームドチョイスや一緒に話し合いながら治療法を決めていく shared decision making を行うのが良いと思います。大川内先生はいかがですか?
大川内先生 道長は生きることや権力への思いが強かったでしょうから、「元気で長生きすることは、藤原氏が盤石であるために不可欠ですよ。そのためにはしっかり治療を続けて…」と伝えると、治療のモチベーションが高まるのではないでしょうか。
稲垣先生 それは効果的だと思います。
大川内先生 また、当時は感染症が多かったと思いますので、基礎疾患として糖尿病を持つ道長には、「外から帰ったら手を洗いましょう」とか「いろいろな病気が流行っているときはなるべく宴会に行かないようにしましょう」といったことも伝えると思います。
稲垣先生 まさに今の時代で言われていることですね。糖尿病の方は感染症にかかりやすく重症化することもあるため非常に大事です。
結果を実感しながら治療を継続
大川内先生 では、道長の性格やライフスタイルを踏まえ、現代の薬剤を使って血糖コントロールをするとしたらどのような薬剤を選択しますか?
稲垣先生 糖尿病のステージによっても変わりますが、肥満があって糖尿病の症状が出始めたころであれば、ビグアナイド薬が良いと思います。低血糖のリスクも少なく体重も増加させにくく、心血管イベントへの好影響も期待できます。
大川内先生 私もビグアナイド薬やSGLT2阻害薬を考えました。他には、GLP-1受容体作動薬も良いかもしれませんね。
稲垣先生 そうですね。GLP-1受容体作動薬は良い選択だと思います。道長の糖尿病は遺伝性が濃厚で肥満ですから、インスリン分泌はあまり良くない気がしますし、忙しい人ですから週1回投与が良いでしょう。
大川内先生 平安時代の貴族の食事は朝夕2回で間隔が長いですから、SU薬は低血糖が心配ですね。
稲垣先生 薬剤を使い続けたとして、その結果が見えることも大切ですね。当時だと血糖値の測定は不可能ですが、体が楽になる、口の渇きが治まる、尿が少なくなって臭いもなくなるとか、そういった変化なら結果として見えやすいと思います。
大川内先生 尿の量や臭いだと変化を実感しやすいですし、結果が見えるとアドヒアランスも高まりそうですね。ちなみに、糖尿病が記録として残されている最古のものに古代エジプトの記録(エーベルス・パピルス)があるのですが、そこでも尿の量について触れられているようです*1。
運動不足は庭の散歩と舞で解消
大川内先生 道長に適した薬剤が挙がりましたが、当然、生活習慣も見直さないといけませんね。食事については宴会をやめてもらうのは難しいですが、例えば、野菜から先に食べるとか、お酒を飲むふりをして水を飲むというのはどうでしょうか。仕事に支障をきたさない範囲でできることを、論理的に提案していきたいと思います。運動については、私には平安貴族が運動をしているイメージはほとんどありません(笑)。蹴鞠くらいしか思いつかないです。
稲垣先生 最初にも話しましたが、当時は運動をどのように捉えていたのか、そもそも運動という概念はあったのか非常に興味のあるところです。ちなみに蹴鞠は、いかに蹴りやすい鞠を相手に渡せるか、ということが大切で、チームワークや仲間意識を育むことが目的だったようです。体を鍛えるとか健康のためということではなかったのでしょうね。
大川内先生 それでもあえて運動を提案するとしたら、まずは散歩でしょうか。宮中や貴族の屋敷には広い庭園がありましたから、「お庭を散歩しながら和歌を詠みましょう」とお勧めしてみたいですね。あとは、『源氏物語』に光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)が舞を舞うシーンがありますから、舞を勧めるのも良いかもしれません。
稲垣先生 なるほど、それは面白い。それと、生活習慣に関連して1点加えておきたいことがあります。糖尿病になる人は、必ずしも生活習慣に問題を抱えているわけでないということです。健康的な生活を送っていても、遺伝的素因などがあれば誰でもなり得る病気です。それなのに、「糖尿病になる人は、不摂生でだらしがなくて自己管理ができていない」とステレオタイプで見られがちで、このスティグマ(負の烙印)が近年問題になっています。道長に関しては生活習慣も大きな問題だったと思いますが、決してすべてが自己責任ではありません。患者自身が前向きに治療と向き合うためにも、主治医としてスティグマを与えないようにすることは非常に大切だと考えます。
もしも糖尿病の進行を抑えられていたら
大川内先生 ここまで道長に対してさまざまな治療法を検討してきましたが、もしも現代の治療が使えて糖尿病の進行や合併症が抑えられていたら、歴史が変わった可能性は否定できないと思います。例えば、道長の六女・嬉子(きし)が産んだ後冷泉天皇は、長男・頼通の娘(藤原寛子)を后に迎えているのですが、この二人に子ができず藤原氏の摂関政治が衰退していきます。道長が元気でさらに子が生まれていたら、その子が天皇に嫁いで、藤原氏はさらに権力を強め、さらなる栄華を極めていったかもしれません。あるいは、『源氏物語』を書いた紫式部は道長の長女・彰子の女房(中宮に仕える女性、お世話係)でしたが、他にも道長は、和泉式部(和泉式部日記)、赤染衛門(栄花物語)など才能のある人物を女房として集めていました。道長が元気であと何人か娘が生まれていたら、第2、第3の紫式部が誕生し、日本文学がさらに発展していたかもしれません。
稲垣先生 いろいろとイマジネーションが膨らんで面白いですね。道長が詠んだ『この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思へば』という歌からは、傲慢で上昇志向が強いイメージを受けますが、一方では、栄華を極めてもう十分満足していたとも考えられます。何しろ、それまでの日本の歴史で娘3人を天皇に嫁がせた人物はいませんでしたから。
大川内先生 確かに、その可能性もあります。
稲垣先生 だとしたら、適切な糖尿病治療を受けて、それによって合併症に苦しんだ晩年のQOLを少しでも高めることさえできれば、道長本人としては何も思い残すことのない人生になったのではないでしょうか。そんな風に思います。
大川内先生 さらなる栄華を求めるのではなく、息子や娘、孫たちの後ろ盾となりつつ、余生を穏やかに過ごす。そういう生き方も素敵ですね。今日は藤原道長について、稲垣先生とご一緒にいろいろと考えられてとても勉強になりました。ありがとうございました。
※本コンテンツの歴史に関する記載には、諸説ある中のひとつを取り上げた部分が含まれています。予めご了承ください。
*1:堀田饒『切手にみる糖尿病の歴史』ライフサイエンス出版、2013